2014年8月5日火曜日

サハリン鉄道2014-3:ユジノサハリンスク-ノグリキ寝台列車

他記事一覧:
サハリン鉄道2014-1:稚内ーコルサコフ
サハリン鉄道2014-2:ユジノサハリンスク周辺
サハリン鉄道2014-3:ユジノサハリンスク-ノグリキ寝台列車
サハリン鉄道2014-4:ノグリキ探索編(1)
サハリン鉄道2014-5:ノグリキ探索編(2)

ユジノサハリンスク - ノグリキ

ユジノサハリンスク鉄道駅は、レーニン広場のすぐ隣にある。駅舎に入るときに金属探知機の中をくぐらされるのだが、横に荷物を置くような場所もないので、パソコンをバックパックの中に入れたまま通ると当然音が鳴る。しかし、係員の皆さんを見ると、進んでよし、という様な指示をしているのでそのまま通り抜ける。
ユジノサハリンスク駅前は駐車場である。舗装がところどころ怪しいので、注意して歩く。
ユーラシア・ホテルの隣はすぐに駅のプラットフォームになっている。写真では右端に窓枠が見えている。窓から下を除くと、荷物を抱えた乗客や駅員の皆さんが歩いているのが見える。
夜の駅
この写真を撮った日は曇っていた。晴れていたら、もうちょっと印象が違ったかな。
ユジノサハリンスク駅の待合室。飲み物とかも売っている。 長距離列車に乗る人たちは時間に余裕を持って駅に来るので、乗車時刻の30分くらい前になるとまあまあ混み始めてくる。早めに駅に行かないと、椅子がなくなることもある。つねに先手を打って行動することが鍵か。
待合室から階段を降りて行ったところにトイレがある。入口にお姉さんが座っている場所があって、15ルーブリ払う。
鉄道に乗り込むところ。今回は2等車コンパートメント(片道9900円)に乗りました。開放寝台の3等車というのもあって、そっちは片道9200円らしい。
2等車のコンパートメントは4人で使う。僕達と一緒に、軍隊のような格好をした人たちが乗ってきて、そのうちの2人と同室になった。ツーリスト?ジャパン?と話しかけられたので、僕は、ツーリスト。ジャパン。と答えたが、その後が続かずに日露交流の機会を逃した。もったいないことをした。
客室内には、二段ベッドに上がるための足場がある。今回乗ったのは2等室であるが、隣の車両の3等室はどうなっているのだろうと思って覗いてみようとした。しかし、残念ながら列車の端は閉じられていて、隣の車両には乗り移れないようになっていた。車内の換気については、窓が開く部屋と開かない部屋がある。僕達は往路は窓が一部開く部屋、復路は開かないハメごろし窓の部屋を宛てがわれた。コンパートメント横の通路の窓は一部開くようになっているので、そこに出ると新鮮な空気を吸って気分転換できる。とにかく冬の寒さに耐えられるように作られているようである。
車両の横
列車に乗り込む人々。
発車すると、すぐにユジノサハリンスクの市街から抜け出し、原野をゆく。こんな世界の果ての辺境にまで漏れ無く草木が生えているのについつい驚く。かつて工場だったような形をした廃墟が、路線沿いにポツポツと見受けられる。
上のベッドでは兵隊さんたちが何やら話しているので、我々も適当に雑談をする。雑談のねたが尽きた後は、僕は持って来ておいた中国史に関する本を読む。明末の満州と、その後の清の興隆について多少詳しくなった。
途中からはずっと海沿いを走る。たまに小屋があって、人間の気配を感じる。昔はこの辺りは日本帝国の領土だったので、返還運動をやろうという声があるのだが、では実際に帰ってきたとして、ここに住んでみろと言われると困る。寒いのはまだ我慢するとして、遊ぶ所もないし、クマは沢山いるし、すぐに攻め込まれそうだし・・・
旧国境の北緯50度線を通るときに写真を撮ってやろうと思っていたが、生憎そこを通過するのは真夜中だった。翌日も動かねばならないので夜の写真は諦めて、多めに休養を取ることにした。水を沢山持って来ておいて良かった。


翌朝6時30分に、ノグリキに到着しました。涼しい。そして、さわやかな風。

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