2017年3月1日水曜日

ニューオーリンズで○○学会

アメリカ物理学会は毎年べつの場所でやっているようだが、今回は南部のルイジアナ州にある海沿いの大都市、ニューオーリンズで開催されていました。今回はそれに行ってきたときの記録です。
今回はなんと朝の6時に出発する飛行機をとった。大学から旅費を出してもらうためには、その日の最安値の時間帯の航空券を取らないといけないからである。友人のYD君とタクシーに相乗りすることにして、真夜中の3時15分にうちの家にタクシーが迎えに来てくれることになった。
しかし、ちょっとした罠があった。当日の午前1時頃(真夜中)に早起きしてヤフーニュースを見ていると(日本のヤフーニュース)、明日から欧米ではサマータイムであるというような情報が目に入った。サマータイムの事をすっかり忘れていたので、どういうふうに時間をずらすのだったか調べてみると、「日曜日の午前1時59分の次が午前3時0分になる」という時間の飛ばし方をすることがわかった。だから、僕があと2時間近くあると思っていた待ち合わせ時間が、数十分のちに迫っていたのである。。
まあ、ぎりぎりで気づいたのでそれは良かったとして、タクシーで空港に向かった。カルガリー国際空港は、行き先の分類が、国内線・アメリカ線・その他国際線、という分かれ方をしていてアメリカ行きは特別である。カナダの他の空港もたぶん同じ分類になっていると思う。アメリカに行く時は、飛行機に乗る前にアメリカの入国審査を受けることができる。これは、着いた後に国内線への乗り換えがスムーズに出来るので楽ちんである。審査では指紋を2か所ぐらいで取られるのだが、僕は指紋が薄くて審査官に「髪の毛をさわったり、首をさわったりして指に脂を付けて下さい。」という指示を受けたりした。
飛行機に乗るまでに時間があったので、落ち合ったYD君と、彼のボスである○先生と一緒に朝食を食べる。○先生はビーガンと呼ばれるかなり厳格な菜食主義者である。空港のレストランのウエイターの人がビーガンという言葉を知らなかったので、○先生はウエイターの人に向かってビーガンの定義を3分ぐらいで説明していた。その結果、彼はフライドポテトを食べていた。僕はオートミールにした。
飛行機の窓から下を見ていると、雪が消えて、大草原があらわれた。4時間ぐらいでヒューストン国際空港に到着した。そこでは売店でメキシコ料理を食べた。
ニューオーリンズはアメリカのルイジアナ州の南端にあります。 その昔フランスがアメリカ大陸に植民地をもっていた時代に、植民地統治をする政庁のような物を置いたらしい。だから今でもその時代の香りが残っていて、市のシンボルがフランスの王朝と同じユリのマークだったり、フレンチ・クォーターという名前の市街があったりする。
気づいたが空港でアメリカドルに両替しておくのを忘れていた。ということで現金がないわけだが、幸いにもすべての店の支払いがクレジットカードで済んだ。会場は、川沿いのとても大きなコンベンションセンターだった。
発表時間は短い(確か9分+質問2,3分とかそのぐらい)なので、時間のロスを防ぐために発表者の横に次の番の発表者が待っていることになっている。プロジェクターと自分のノートパソコンを接続してトークをするのだが、接続に問題があると時間のロスをして困るので、ノートパソコンとプロジェクターの接続がうまくいくかどうかを試すための専用の部屋が用意されていた。
食事は、サブウェイがホテルの近所に二箇所ぐらいあったので行ってみた。
毎日いろいろなセッションを回ってみた。セッションは講義室のような部屋でやっている。人で溢れている講義室もある一方で、あまり人がいなくてガランとしている部屋もある。○先生によれば、講義室を割り当てるときにオーガナイザー達はあらかじめセッションごとの人気度を予想し、人気のありそうなセッションには広い部屋を、人気のなさそうなセッションには普通の部屋を割り当てる。なので、狭い部屋にもかかわらず人が溢れているようなセッションは、オーガナイザーの予想を上回って人気が急上昇したセッションであるので、聞きに行く価値が高いのだ。ということだった。
まあそれはそれとして、僕は普通の大きさの部屋で発表をした。僕の発表は木曜日の午後だった。プレゼンが終わってしまえば後はもう、だいぶ気を抜いて過ごせる。僕のひとつ前に発表を予定していた人が会場になぜか現れなかったので「それでは、10分間の休憩」という事になって、その後に僕の番になった。質問は知り合いの、UBCのポスドクの人から一つ出た。発表者が会場に現れない事態はほかにも何度か目にしたので、実はそんなに珍しくもないようだ。
面白そうだった○○関連のセッションにも行った。発表者は9割ぐらいアジア系の人々だった。じっさい、国際学会という感じがあまりしなかった。あとは、スペシャルセッションで去年のノーベル賞を受賞した○○氏とか○○氏とかの講演があった。○○氏のしゃべる声は、想像していたのよりも1オクターブぐらい高かった。
滞在中は中国出身のYD君とホテルの部屋をシェアーしていたのだが、ある日彼が遅く帰ってきた。学会の近所で、中国の某5大学の出身者を集めたレセプションが学会の近所であったので、それに行ってきたと言ってた。
その某5大学とはUSTCとか北京大学とか、物理が強い大学のアソシエイションで、それらの大学の出身の院生や研究者だったらレセプションに参加する資格がある。レセプションは何日間か連続で開かれている。
YD君は上海交通の出身で、5大学の中には入ってないかったように思うが、べつにそこの大学出身じゃなくても、会場に行って、黙ってたらバレないらしい。明日は君も一緒に行こうぜ、「中華料理がたらふく食えるぜ」、とか言われたが、さすがに身元が分かるといろいろ不味いのでは?と思って、僕は行くのを遠慮してしまった。今思えば、どう転んでも話しの種になるんだから行っておけば良かった。
「量○力学のゲーム化」というタイトルのセッションがあって、何か面白そうだと思って見に行った。内容は量○力学を学校で教えるために洋ゲーみたいな感じでゲーム化して教えるという物で、会場は盛り上がっていた。しかし、自分はいまいち洋ゲーにありがちな、「人や物を撃って勝ち進んでいくシチューエーション」という物が苦手なので、適当なところでセッションを退席して、そとを散歩することにした。
(←さっきと同じ写真)コンベンションセンターの中をぶらぶらしていると、YD君が友人と一緒に居るところを見つけたので、これからフレンチ・クォーター観光に行くと言うので、そこに一緒に交じることにした。今回は発表の準備に集中力をとられていて、会場の写真などをバランス良く撮影するのを忘れていた。
発表が無事に終わったお祝いに、ポーボーイとかいう地元で有名な料理を出す店に行った。このへんはカキが有名であるらしい。
フレンチ・クォーターでは写真をあまり撮ってない。確かにあちこちで音楽が鳴っていたりしたし、大道芸をやっている芸人の人もいて、藝術を重んじているという雰囲気はあった。
最後の日にホテルに戻り、明日の朝のタクシーを手配して貰おうと思って、想定問答を頭の中でこしらえてからフロントに行った。そうして「タクシーが、、」と言いかけたら、いまから工事をするので宿泊者は全員退去するように、と言われた。???いや今はその話しじゃないのだが???と思った。とはいえ、指令には従わないといけないので、とりあえず部屋に戻って、荷物をまとめてロビーに降りた。YD君がフロントにめちゃくちゃキレてたので、しゃーないという事を言ってなだめたりした。替わりのホテルを用意してくれるというので、車に乗せてもらって移動した。
代替ホテルはハイアット・ニューオーリンズだった。宿泊料は、とりあえず僕が立て替えて支払った。あとでカナダに戻ってから、予約サイト(エクスペディア)とホテルとに別々に連絡したら、両方が宿泊料を払い戻してきた。なので、研究費はそういうふうに申請して、研究費を節約することができた。
ハイアット・ニューオーリンズは大きくて良いホテルで、しかも二十何階の眺めのいい部屋だったのに、夜遅くチェックインして、次の日の朝にはもう出発で、せっかくのラグジュアリーを愉しむことなく終わってしまって残念だった。朝7時に出て、タクシーで空港に行きカナダに帰った。