途中の料金所。比叡山に京都市側から登るにはいくつか道があるが、僕の思い出にあるのは左京区修学院の脇から雲母坂という名前のついた山道を使うルートである。僕は大学生の時は修学院離宮の近くに住んでいて、比叡山には二度ほど友人のY君と一緒にハイキングがてら登った。麓から山頂まで二時間ほどかかり、僕の体力から言うとかなりきつい道で、途中からはY君にけなされながら休み休み歩いた。秋に登ったときには道沿いの紅葉がとても綺麗だった。
途中で駐車場つきの休憩所がある。琵琶湖が見える。高校一年生の時の夏休みに、理系の企業の研究を見学に行くという学校の行事があって、来たのが滋賀県の琵琶湖畔にある東洋紡績の研究所だった。研究所よりも、そのとき初めて見た青い琵琶湖と白い橋が思い出に残った。
大晦日だったので、NHKの人々が来て撮影準備をしていた。この次の日の大晦日の夜、ゆく年くる年を見ていると比叡山のようすが映った。5分間ほどの短い映像だったが、昨日行ったところがテレビに出るのは嬉しかった。
比叡山を開いた伝教大師さんの生涯をしるしたパネルが参拝路に並んでいる。幼いころは神童と呼ばれていたとか。伝教大師も、弘法大師も、少年のときから頭がよくて周りを驚かせておられたらしいが、彼らが現在の時代に生まれていたらどういう道を選んだのかと思ったことがある。弘法大師は仏教、儒教、道教を並べて仏教がいちばん良いと思い、仏教を専門に勉強することを決意されたと言う話だが、現代の自分の感覚からすると、そこまで頭が良い人が宗教の道に進むというのはどうも勿体無かったような気もする。
最澄も空海も宇宙の真理を知りたいということで中国へ行って仏教を勉強されたわけだが、もしその代わりに書物を読まないで、自然を観察し実験をするところから始めたら、西洋の科学者のように自然科学を作ることになった・・かもしれない。現在の科学の圧倒的な成功を見ると、むしろそちらの道のほうが彼らの目指したものに近かったのではないか?という気がしている。
個人的な見方では、古今東西、頭が良い人は豊かで奥行きが深い理論を見つけたらそれに惹かれるという事はあると思う。現代でも理論的な科学者には、自然より書物のほうが好きな人が沢山いると思うし、別にそれは悪いことでもない。
こちらは比叡山の西北方面。京都は、北山のあたりから外に行くと、山林そのものと言うぐらいの田舎に急激に変化する。むかし大学生になって京都に住み始めたとき、友人が八瀬に住んでいたので叡山電車に乗って遊びに行った。八瀬比叡山口で電車を降りると、周りが青々と茂った樹木だらけで、そこが出町柳とかと同じ左京区の中だというのが驚かれるぐらいで、いきなり森の中に瞬間移動をしたような変な気分になった。
その八瀬比叡山口駅は比叡山の京都側のふもとにあるが、そこから山頂へケーブルカーとロープウェイを乗り継いで登れるようになっている。ロープウェイの山頂の終点駅の近くに、京都市を望める良い景色の場所があるので、そこにHW君を連れて行ってあげようとした。が、残念ながら今の時期はロープウェイの休業期間中で、フェンスが張ってあって景色の良いところへは行けないようになっていた。
比叡山は市内からみて東北の方角にあるので、どうしても写真を撮ると逆光になりやすい。これを防ぐためには午前中の早い時間に来ることだと思う。ちなみにこれを撮影したのは年末の午後1時半である。
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