先日、水戸へ遊びに行った。主な目的は偕楽園を見るためであったが、水戸という土地は、単に庭園だけではなく、博物館や古い建築なども比較的よく残っていて、江戸時代や近代日本の記憶が、入り混じった感じを受ける町である。
美術館をどういう観点で見るかというのは、その人の性格がよく表れると思う。私の場合、近頃は「もし自分の家に飾るとしたらどう見えるだろうか」という事を考えながら見ることが多い。絵そのものを見るというより、その絵が置かれた部屋を想像する。
小さな画を見ると、書斎や隠れ家のような部屋が思い浮かぶ。反対に巨大な屏風絵を見ると、大広間で人々が集まっている光景が連想される。絵画というものは一枚だけで存在しているようでいて、実際にはその周囲の空間ごと想像させる力を持っているらしい。
横山大観は長生きしそうな絵を描く人だと思った。山や海や空など、人間より遥かに長い時間を生きるものばかり描いているせいか、作品全体に急ぐところがない。実際、大観は九十歳近くまで生きたのである。
そのすぐ隣には、三十七歳で結核に斃れた中村彝の作品が掛かっていた。人物や静物を描いた絵である。 もちろん、画家の寿命と作風との間に因果関係はなく、おそらく私が先に略歴を読んでしまったせいなのであろうが、展示室を歩いていると、不思議な事に、大観の絵は長寿の人間が描いたように見え、中村彝の絵は若くして世を去った人間が描いたように見えて来る。
版画家の清宮質文の作品も展示されていた。彼の版画はどこか幻想的で、青色で、私は国語の教科書の挿絵を連想した。実際にそういう仕事をしていた訳ではないのであろうが、森や家や人物の描き方に、子供の頃に読んだ幻想物語の記憶を呼び起こすような所がある。
水墨画は、うまく鯉を書いてあるものがあって面白かった。あるいは家ぐらいある巨大な屏風いっぱいに描いた牡丹の絵も印象的だった。
上に書いた清宮の版画が国語の教科書の挿絵のようだったとすると、中村彝のこちらの絵は三角形も入っていて幾何学の参考書のような整理された感じがある。
現在の感覚では、カルピスというものは、どちらかと云えば懐旧趣味の飲み物であると思う。しかし、この絵が描かれた1923年頃には、発売されて間もない、かなり新しい飲料だったらしい。実際カルピスの発売が1919年だというから、最新の飲み物といっても良さそうだ。昔のカルピスは現在とは逆で、紺地に白の水玉模様であった。
つまり、当時の中村彝は、現代的で洒落た商品としてカルピスを見ていたのであろう。それが百年後には、逆に大正趣味の象徴のように見えて来るのであるから、時代というものは不思議である。
もっとも、私は芸術家の伝記を見るたびに、つい俗な事を考えてしまう。 結局この人は生活費をどうしていたのであろう、というような事である。 説明によると、新宿中村屋のオーナー一族が支援者になっていたらしい。中村屋なら私も新宿へ行くたびに前を通る。中村彝のアトリエも、当時は新宿の近くにあったらしい。現在の高層ビル街からは少し想像し難い。






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