
沖縄県の北部、国頭郡にある今帰仁(なきじん)城という遺跡に行ってきました。

北部の本部(もとぶ)半島にある。

昔、日本では室町時代であった時代に沖縄本島は3つの勢力に分かれて勢力争いを繰り広げていた。

それらは北を治める北山、那覇地域を含んだ地域を治める中山、沖縄本島の南部を治める南山といわれる勢力で、最終的に中山の勢力が勝利して琉球王国となった。

沖縄本島を、現代の自動車で走れば片道 3 時間。けれど当時の人々にとって山ひとつ、川一本は越えがたい“国境”だった。

今帰仁(なきじん)城は北山の勢力が拠点とした城で、中山に滅ぼされたあとは琉球王国の王族が城の主を務めた。

観光客は多かったが、ちょうど人が途絶えた所を撮影しています。

今も残るのは重厚な石垣だけである。想像力を働かせ、昔に建っていた建物を思い浮かべる。建物が失われたあとも、この場所は聖域として大切に守られてきたらしい。

沖縄の青い海の向こうに、かつて三つの“王国”がせめぎ合った物語を思い浮かべる──それだけで島旅はぐっと深みを増す。

ここは火の神を祀る聖域であるらしい。

当日、近くのビジターセンターに立ち寄ると、地元ガイドさんが同行して案内してくれた。歌も歌っていた。

沖縄の中世遺構を巡ると、日本本土の寺社や城郭とは意匠も信仰も異なる点によく出会う。

薩摩軍が琉球王国に攻め入ったときに、今帰仁城も焼き討ちされたそうだ。
そのように、歴史の節々で、本土勢力との緊張や対立が繰り返されてきた事実が浮かび上がる。

ちなみに「今帰仁」と書いて「なきじん」と読む理由については、確定的な説は存在しないようだ。

今帰仁城の石垣に使われている岩には、数百万年前の貝類などの化石がしばしば混じっている。太古の海へ思いを馳せることができる。

今帰仁 文化センターを訪れた。

地元、今帰仁村の暮らしに関する資料が展示されている。

日本本土でも有名な、米国人ペリー提督は沖縄(琉球王国)を訪れ、調査を行った。LEW CHEW はリュウキュウ(琉球)のことらしい。
「アカン墓」という名前は興味深かった。沖縄の墓は本土のものと大きく趣が異なる。屋根付きで、大きく、まるで小さな家のような形をしている。

「当時、西洋人のことを「オランダー」と呼び、フランス人を葬った墓であるがオランダ墓と呼ばれている。」真面目な文体で書いてあるのが逆に面白かったりする。

ブランコ。

プロジェクト・マネジメントの世界で定番の風刺画、コマが進むごとに形を歪めながら“最終的に誰も望まない代物”へ変貌していく漫画がある。この漫画は要件定義や認識合わせの難しさを表している。

今回訪問した 今帰仁では、「要件が正しく伝わり、正しく実装された成功例」が静かに佇んでいた。